若い頃ハンブルクの街を訪ねたことがある、21歳の頃だったと思うが夕方に到着したが、ホテルをまだ決めていなかったので駅前をうろうろしていたら適当な安宿が見つかったので扉を開けたらちょうど一部屋だけ空いていたようだ。荷物を部屋に入れ、早速街を散策。バーの様な呑み屋が多く、ポルノ専門店も多かったように記憶している。翌日は朝早くから街のあちこちに出かけハンブルクの街を散策した。ガイドブック片手にいろいろ回ったが、ビックリした事に私の泊まったホテルの近辺はちょっと危ない所なので注意とあった。どうもこの経験からかどうかは知らないがヨーロッパ中のちょっと危ない場所へ顔を出す事が多くなった。今は絶対行かないが、当時は若さ故、興味津々だった。

1795年創業の老舗レストラン

ハンブルクではどうしても食べたい料理があった。それはラプスカウス(Labskause)だ。これは船乗りの料理として有名だ、なぜか!
それは船乗りの大敵は壊血病、ご存知の様にビタミンCの不足により出血する。昔は船の上に新鮮な野菜など無いから、壊血病になってバタバタ倒れた。それの解決策として考えられた料理と言われている。(詳しい内容省略)材料はコーンビーフ(日本のノザキのコンビーフと違う)ジャガイモ、玉葱を混ぜたハンバーグ状のグチャグチャになった生肉だと思って頂きたい。その上に目玉焼きが乗っている。見た目はグロテスクだがターターステーキの好きな私にはたまらない味だ。しかし欠点は”これでもかっ”と言う量には参った。このラプスカウスの名店がオールドコマーシャルルームだ。

Hans Hummel

本名ヨハン・ヴィルヘルム・ベンツ(Johann Wilhelm Bentz、ハンスはヨハンの愛称です)。1797年生まれの生粋のハンブルク人で、Grossen Drehbahn36番地に住み、1854年に亡くなる。彼(Hummel)の職業は水運び。職業的にはかなり低く見られていたようで子供達も彼の事をからかって「フンメル、フンメル」と声をかけてました。重い水桶を担いで忙しいハンスは「モアス、モアス!(方言でお尻という意味だそうです。要するにスラングですね)」とだけ答え子供達に言い返したのですがそんな事では子供達は怯みませんよね。こんなやりとりが、いつのまにかハンブルク特有の挨拶にまでなったのです。
1845年にハンブルク市内に上水道網ができる以前は、水運びという仕事が成り立っていましたが、勿論かなりの重労働だったに違いありません。でもどうして街中に人形が置かれるまでに、ハンブルクのシンボル的な存在になっているのか?という疑問が当然沸いてくるでしょう。
その理由は、先ほどのようにこの言葉がハンブルクの方言になるくらいの挨拶言葉となり、このハンブルクでの挨拶用語が「フンメル、フンメル!(Hummel, Hummel!)」、「モアス、モアス!(Moas, Moas!)」になり、語源となった彼のこの像ができた訳です。
2004年、芸術家たちによりペイントされたフンメルの像が100体作られ、ハンブルクの大通りに展示されました。そしてこれらは競売に掛けられ、その多くが個人の所有物となっています。しかし、まだ市が所有しているものもあり、それらが中心部のいくつかの場所に残っているのです。
私もちょうどこの頃ハンブルクにいてこの写真を撮った訳ですが100体すべては撮れませんでしたが今はもう数が少なくなっているという事で60数体の貴重な写真になりました。
Servusakiのハンス・フンメルのページ
ハンス・フンメルのオフィシャルサイト:
http://brummbaeropi.de/frameset/daten/hummel.htm

休暇を取るために働くドイツ人

日本人は働く英気を養うために休暇を取り、欧米人は休暇を取るために働くと聞いたことがあるが、それを実感する日々である。ドイツでは日系の会社でも普通のドイツの会社と変わらない。入社一年目の新入社員から一律に年間28日の有給休暇がもらえる。日本人が一年で消化する平均の有給休暇は8日との調査結果があるそうだが、私の会社ではすべての休暇を消化するように勧めている。ただ消化するだけで
はなく、会社の規定で、少なくても一度は二週間以上続けて休暇を取らないといけないことになっている。私が日本で働いていたころ、風邪気味の時は有給休暇で休んだことがあったが、ドイツではそんなことは考えられない。有給休暇とは別に、病気欠勤に最大六週間の賃金保障がなされているからだ。
体調が悪いと電話一本で休め、三日以上欠勤の場合に初めて医者の証明が必要となる。もし一年間に有給休暇が残った場合は、期間を三カ月延長することができる。








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