スペインといえばフラメンコだが、すぐに女性の艶やかなステップを思い浮かべてしまう。もちろん男性も踊るのだが日本ではフラメンコ=女性という図式だ。バルセロナの夜を散策していたらステップ用の板を持ち出して路上で踊りだした。通行人も足を止め見入っていたが男性はバイラオールと言うそうだ。目の前で繰り広げられる激しく打ち鳴らすステップにはカ・ン・ド・ウです。

バルセロナを訪ねてみれば

バルセロナを訪れたのは食品見本市を見るのがきっかけで、特にそれ以外の目的はなかったが、来てみるとヨーロッパの土地柄とは少し違うような気がした。このスペインが昔は世界を股にかけて日本にまで来たいたのかと思うとその足跡を探してみたくなったが残念ながらその時間もなく2泊の予定で観光したので、思うような所を見て来れなかったのが残念だった。次回は余裕を持ってこないと・・・・
バルセロナはドイツの見本市を見てから来たので帰りは列車でウィーンまで行く予定だった。バルセロナからウィーンまではかなり遠いが、私の趣味が列車に乗って気に入った所があったら途中下車というのが私の旅の心構えだったのだがこの日はどうしてもその日までにウィーンに行く必要があったので飛行機で行こうと旅行会社に切符を手配したらとんでもなく高いことを言われ、仕方なく2〜3の旅行会社を回ったらどこでも似たり寄ったりだったのでどうしようかと思案していたら、3軒目の旅行会社の人から往復切符ならお安いですよと言われ値段を聞いたら1/3以下だった。どうしてこんなにも安いのかと思ったが、旅行会社の人から必ず戻ってきて下さいねと念を押されたが、まあ、気にしないでおこうと意気揚々飛行機に乗ってウィーンについたらニュースで列車テロが起き、スペインはトンデモナイことになっていた。列車で帰っていたらその時間多分まだスペイン内なので足止めされたかもしれないと思い危機一髪だった思い出がある。

サグラダ・ファミリア教会

バルセロナを訪れたらやっぱりそれは、サグラダファミリア教会でしょう、という事でご多分に漏れずお上りさん状態で教会まで足を伸ばした。遠くからでもその存在感は絶大で、真下に来たらその大きさに圧倒された。観光客もかなり多く、教会の内部に入ったら当時はまだまだ足の踏み場も無いというくらい工事中でした。
サグラダ・ファミリアは、ご存知の様にカタロニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品です。バルセロナ市のシンボルであるこの建物は、同市の拡張市街地域に建てられています。この教会は見れば見るほど他の教会と違い・・・と言ってもそんなにも沢山の教会を見てきた訳でもありませんが、昔からのどこにでもあるような教会と見比べるとちょっと違うなという印象でした。
2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めたモニュメントとなったそうでこれからも益々完成に近づくにつれ観光客が増える事でしょう。

アントニ・ガウディ

この人はどんな建築家なのかちょっと想像出来ない。彼の作った作品を見ても分かると思うが、グエル邸、カサ・ミラ、カサ・カルベット、カサ・バトリョなどなど見ても、これが建築なのかと思わせる奇抜な建物群に驚かせる。アールヌーボーやアールデコもそうだったが始めは皆、奇異の目で見つめられていた。パリのエッフェル塔なんがパリ市民のほとんどが反対者で、今ではパリには無くてはならない建物になっている。このガウディの作品群も未来には当たり前のように受け入れられているのだろう。
アントニ・ガウディは、スペイン、カタルーニャ出身の建築家で、19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した人物。その作品はアントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。
ガウディはパリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインした。この作品を通じてガウディの才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルであった。グエルは、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼した。1883年にはサグラダ・ファミリアの専任建築家に推薦される。
彼の最後の作品となるサグラダ・ファミリア教会の出来上がりが楽しみだ。








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