人によって様々だろうが、私はルーブル美術館が大好きだ。昔はモナリザの絵の前はガラガラでその上、すぐそばまで近寄れたのでじっくりと鑑賞出来た。ミロのビーナスも周りには人っ子一人いないのでじっくりと見て回れた。そんなミーハーな場所も好きだが歴史上の食にまつわった人物はいないか、当時の食材は何があったのか、当時食べられていただろ果物の絵や食材になるジビエの動物の絵、そんなものを探しにうろうろしている。

ルーブル美術館(ルーヴル宮殿)

現在ルーヴル美術館として使用されているルーヴル宮殿は、12世紀にカペー朝第7代のフランス王フィリップ2世(在位1180年 - 1223年)が要塞として建設したルーヴル城をもととしており、当時の建物の面影が(城壁跡がある)現在も地下室に残っています。
パリが首都となったのは、5世紀末にフランク族の王クロヴィス1世はパリを征服し、508年にはパリをメロヴィング朝フランク王国の首都としたのですが、当時のパリの街はとても狭く一地方都市でしかなかった。
フィリップ2世の時代にはパリを囲む城壁が築かれ、11世紀頃からパリ大司教座聖堂付の学校が発達し、のちのパリ大学につながっていった。右岸に中央市場「レ・アル (Les Halles)」が作られる。こうして左岸は大学の街、右岸は商人の街という現在まで続く町の原型が定まった。
ルーヴル城は要塞だったが、この城が英国など外国からの攻撃にさらされることは、結局なかった。
このルーブル宮殿が後にヴェルサイユ宮殿へと移されたのには訳がある。
当時のトイレは、汚いものとしてセーヌ川などに流されていたが人口が増えるに従って糞尿の処理を川に流す訳にも行かず、徐々に街中に溢れ出してしまった。ルーブル宮殿もオマルなどで処理をしたが訪れる多くの客までは対応出来ず庭などに垂れ流しになり宮殿自体が臭くなっていまい、ベルサイユ宮殿に避難したという事らしい。でもベルサイユ宮殿も同じ目にあり立ちション禁止の立て札「エチケット」ができた。

パリのメトロ

昔のパリの地下鉄は怖いから、必ず一等車に乗る事。と、ガイドブックによく書かれていた。
確かにニューヨークの地下鉄同様、汚い、怖いという状況でしたが、今は昔、ほんとにそのような事があったのかと疑うような治安の良さと、きれいな車両です。一等車、二等車の区分けは今はありません。そんな新しくなったパリのメトロでも犯罪はあるのだろう、警官や私服らしい警備の人間を良く見かけ、実際に犯行現場を見かけ逮捕の瞬間を見たこともある。カメラをもっていたがさすがに写すのに憚られた。隠し撮りのような感じで撮ったらやっぱりピンボケだった。でもあんまり遅い時間に乗るのは止めた方が良いかな?? と思いつつ酒に酔っぱらって夜更けにメトロに乗っている自分がいる。

サンジェルマンデプレ

ルーブル美術館横のセーヌ川に架かる橋を渡って少し歩くとそこは「サンジェルマンデプレ地区」という場所だ。ここにはサンジェルマンデプレ教会が有り、パリで最も古い教会と言われている。ロマネスク系の教会はゴシックなどと違って、慎ましやかな感じである。このとんがり屋根の教会あってのサンジェルマンデプレであるから、ここの風景には欠かせない。この教会と教会前がサンジェルマンの中心なのだ。
この教会は576年にパリ司教の聖ジェルマンが埋葬され、「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」と呼ばれるようになり、現在の建物は、11世紀に建てられたもので、その後幾度となく改築・増築が行われてきたので、当時の面影はあまり残っていません。中に入ると、15世紀の木製のキリスト像、「慰めの聖母」の彫刻や、フランシスコ・ザビエル像などがあります。
お勧めは、目の前にあるカフェ・ドゥ・マゴや、カフェフロール、リップが憩いの場にふさわしいサンジェルマンデプレ教会を借景とするゾーンのカフェやビアホールである。
サルトルとボーヴォワールが通ったというカフェ・ドゥ・マゴやカフェ・ド・フロールなどの老舗カフェがあるシックなエリア。おしゃれな洋服屋さんや雑貨店、画廊や骨董店などもあります。カフェ・ドゥ・マゴは渋谷の東急デパートに支店があるのでご存知の方も多いはず、ここのテラスに座ってワインやカフェを楽しむのも一興です。








inserted by FC2 system